3.11 大震災の爪痕

震災の日からの記録

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震災前の街並
3月20日
午前6:45:早起きして自宅付近(大船渡町野々田)に行ってみた。 正面に見える家、よく見ると二階建ての家に平屋の家が乗っかってまるで3階建のようになっています。 下の二階建ての家が積水ハイムという鉄骨作りの頑丈な家だから持ちこたえたのだろうけど もう住めないですね。
午前6:45:右側の大きな建物はタイサンです。
午前6:45:この車の変形度合い、もの凄い力が加えられたのだろうと感じました。
午前6:45 パチンコ屋(廃業して使われていなかった)の通り
午前6:45:正面に見える建物はホテル福富。このホテルは再建して今、復興の労働者たちの 宿舎をメインとして営業しています。
午前6:45:昔、中学校通りと呼ばれた海まで続く幅の広い通り。この左側の鉄骨の建物は あたご屋さんで私の家のお隣さんでした。サンマの季節には「サンマ食べて!といつも頂いたなー」 その、優しく元気だったおばちゃんも震災後の避難所での疲労で亡くなってしまいました。残念です。
午前7時:
午前7時:須崎川。ここは子供の頃よく遊んだなー
午前7時:須崎川付近
午前7時:大船渡駅前。
午前7時:大船渡駅前商店街。
午前7時:駅前商店街
午前7時15分:再び須崎川付近へ。美容室アービルさん
午前7時15分:須崎川。ある部分から海側がこのようなことになっていました。
午前7時15分:須崎川。
午前7時15分:左の建物は石塚病院。ここのお医者さんは猫好きで猫のことを心配して屋上から 下に降りて行って行方不明になったとのことです。私の家のホームドクター的な存在でした。 震災前に末期がんで亡くなった母親の往診にも来てくださいました。私も日曜大工で深く刺さったとげを 二度抜いてもらいました。残念です。