3月11日
14時48分。地震が収まった時の陸前高田市。
(わたしはこの時、東北電力の委託検針員で陸前高田市米崎町松峰団地で
作業中だった。)特別、変わった様子はなかった。
14時48分。わたしは高台におり、ふと下を見ると地震の揺れに恐
れおののいた主婦が外に飛び出し、うずくまり震えていた。わたしは「大丈夫
ですか?」と声をかけ女性は「怖かった!」と話しておられた。
妻の携帯に電話をしたら繋がったのですぐに避難するように命じ大船渡町の加
茂公園上で会おうということで電話を切った。
15時25分、大船渡湾の入り口港湾防波堤(通称トンボロ)はいと
も簡単に姿がなくなっていた。
15時28分、大船渡町丸森の国道45号線から末崎方面の光景。家が
沖の方に流されているように見えた。
これはとんでもないことが起きたのだと感じ始めていた。
15時31分。赤崎町蛸の浦付近。
15時31分。大船渡湾港防波堤(通称:トンボロ)はこの時点で
跡形も無くなり一艘の漁船が津波と格闘していた。
15時38分。大船渡町永沢国道45号線沿いから海側を見る。津波の
被害についに間近で見た瞬間だった。
15時38分。上と同じ時間帯での写真。別の角度から。
15時39分。上の写真と同じ時間帯に撮っている。その時は気付か
なかったのだが後で写真見てみると左上の方に水の上に浮かぶ残骸の上を一人
の人がいるではないか!(赤丸で囲んでいます)
上の写真の左上の赤丸で囲んだ部分を拡大した写真。どんな
に心細かっただろう。